おととい土曜日の午前のこと。歯磨きをしながら、キッチンの窓辺に置いている鉢植えの花に水遣りをしようとキッチンに行った。休日の爽やかな午前だと感じつつ、コップに水を入れ水遣りをした。窓の外はよく晴れており、木々の葉がてらてらと輝きをこぼしていた。
しかし、家の隣にある専門学校の様子がどこか普段と違う。20人ほどの人だかりができており、少し騒がしい。
よく見ると、消防車が来ている。
「・・・火事か?」
しかし、どこからも煙は立ち昇っていない。それに、人だかりからも火事で避難してきたような緊迫感は感じられない。
「ははぁ、避難訓練だな」
それにしても緊張感のない避難訓練だな、と私は窓の下の校庭を見ていた、歯を磨きながら。
やがて校庭の入り口付近に停まっていた消防車は学校の奥の方へ移動し、私の視界から消えた。人だかりは消防車の移動して行ったほうを見ている。そして心なしか、20人ぐらいだった人だかりの数が30人ぐらいに増えているような気がした。
「避難訓練じゃないのかな」
大連に来てから一度も避難訓練を見ていないが、避難訓練にしてはあまりにも統制に欠けていた。
その時だった。私の見たもの、それは・・・

「お、人だ!」
「飛び降り・・・」
直感的にそう思った。それ以外の可能性はまったく思いつかなかった。
手にしていた歯ブラシを置き、カメラに持ち替えた。
人だかりはだんだん増えていった。

続く・・・
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会社のレクリエーション活動で金石灘に行って最後にしたこと、それはさくらんぼ狩りだった。私自身、小学校低学年以来のさくらんぼ狩りであった。
さくらんぼ園の近くでバスをおり、細い坂道を下ってさくらんぼ園に向かった。さくらんぼ園に行く途中、とうもろこし畑を過ぎ、麦畑を過ぎた。
先日、このブログに写真を載せたが、農作業に馬が使われていた。馬車などの物を運ぶ道具としての馬はときおり見かけるが、農作業に使われる馬を見たのは初めてである。
馬が前を歩き、誘導する農夫は後ろを歩く。畑のこちらからあちらまでをゆっくりと移動する。向う側に消えてしばらくすると、またあちらからこちらにゆっくりと歩いてくる。
私はその原始的農作業風景に既視感を抱き、恍惚となった。生まれる以前の遠い記憶をよびさまされる思いがした。
さくらんぼ園に着くなり、さくらんぼを採って食べた。さくらんぼには数種類あり、大きさも違えば色も赤いものと黄色いものとがあり、味も甘いもの酸っぱいものとさまざまであった。
自分の手で採って食べる、今の時代にあってはこんなことすら新鮮に感じる。都会の喧騒から離れ、都会の時間感覚とも離れ、心ゆくまでさくらんぼの食感と涼感を味わった。
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6月のとある土曜日、会社のレクリエーション活動で金石灘に行った。
金石灘は開発区の隅にある。大連駅から開発区へ出ているドイツ製の電車に乗ると、その終点の駅が金石灘である。開発区の隅だから豊かな自然が残っているが、すごく辺鄙なところともいえず、ゴルフ場なども整備されている金持ちがよく息抜きに遊びに行くところである。
会社の借りた観光バスに乗って金石灘に行った。金石灘に着くまでどれくらいかかったか記憶が薄れているが、だいたい2時間弱だったように思う。
朝8時ごろ会社を出発し金石灘に到着後、スケジュールがびっしりと組まれており、あわただしい一日となった。
レクリエーション。辞書には、「仕事や勉強などの疲れを癒やし、精神的・肉体的に新しい力を盛り返すための休養・娯楽」とある。今回の活動は、これとは正反対だった。普段の仕事の何倍も疲れる遊びであった。
金石灘で何をしたか、いちいち書くことは控える。ただ、金石灘に着いてからも、びっしり組まれたスケジュール一つ一つを消化するたびに、バスで移動を繰り返した。
午後の3時ごろだったろうか、バスで移動中、ある海岸に小休憩で立ち寄った。そこで見たのが、下記の写真の光景(牡蠣の養殖の光景)。

養殖場で育てた牡蠣を、今度は海に1年間沈めておくのだという。写真は牡蠣を海に入れる作業をしているところである。私は好奇の目で作業の一部始終を見ていたが、彼らの仕事ぶりは淡々としており実に絵になっていた。彼らの体格は立派で、肌はよく焼けており、口数は少なく、海の人間特有のオーラを持っていた。
彼らの、私の仕事とは似ても似つかぬ仕事風景を見ていると、不思議にも心が洗われてゆくようであり、しばし疲れを忘れて海を見ていた。
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大正15年4月、解くすべもない惑いを背負うて、行乞流転の旅に出た。
分け入つても
分け入つても
青い山
種田山頭火